反対とかよりも賛成。 計画よりもリクリエーション。





『ふらふらしているだけ』

『何を考えているのか分からない』

『格好がだらしない、品がない』


いろいろとご指導ご鞭撻を頂くこともあるが、当の本人は至って本気で真剣なのだ。


本気で遊んでいるし、ある意味で真剣だ。

十数年前に、バイク事故に遭って空中を飛んで、時間が止まったときに「どうする?」と聞かれた(妄想です)。


「うきゃ〜!どうする?ってこれで終わりってことかいな?もうちょっと遊ばせてー!」って思ったら、救急車で病院に搬送されたところだった。


それから3ヶ月の入院が始まり、手術やリハビリの日々なのだがそれはもう楽しくて仕方がなかった。

おまけの人生。

なんでもやってみよう、食べてみよう、会ってみよう、行ってみよう。

物理的にも精神的にも旅が始まり、地球を一周したり、心の旅をしたりした。


それが今もずっと続いている感じ。


だから、「ふらふら」しているのが仕事でもあり、「遊んでいる」のが役目であり、「無用」なのが用なのだ。


と言い訳をしながら遊んでいる。


なにせ「遊び」は recreation であり、

re - creation は、再創造なのだ。


世界のあちこちで、本気で遊んでいる人に会ってきた。


その人たちは、「それぞれがそれぞれ」だった。


それぞれがそれぞれのままにいられる、ってことがいいと思った。




旅に出ると、一緒に居て気持ちのいい連中によく会う。


一緒に居て気持ちがいいっていうのは、楽だから。


旅に出ると、自分の住んでるローカルエリアのこともまたよく分かる。



地元が足元だから、足元を見ないとね。


地元のことが本当に好きだし、これからもここでずっと暮らしていこうって思っていると、


地域に住んでいる人のことも気になり始めた。


会社員をしているときは、免罪符をもらっているかのようにそこに目を向けることをしなくても済んだ。


けれども、今はお地蔵様や町内会のことに関わらせてもらうことに導いてもらった。


本当に地元のことを好きだから、これからもここで暮らしたい。


だから、社会福祉とか介護の世界にも関わってみたし、原発の問題や食べ物のことも考えることになった。


地元というエリアは、町内とか市町村とかそういうのもそれだけど、県や国や星もそうなのだ。


県内の原発誘致をしている町に行くと、「よそ者が関わるな、自分のところでやれ!」と言われた。


こちらは「よそ者」の感覚なんてどこにもない。


どこにも「よそ」はない。海も空気も水も山もつながっている。


どこにも境はない。


ただ「関わるな」という人の気持ちもだんだんと分かってきた。


きっと「地域振興は私の手で行うのでまかせて欲しい」ということだ。


問題を問題視することで、問題が顕在化してしまうのだろう。


そうだ、反対とかよりも賛成。


計画よりもリクリエーション。


世界は素敵な出会いと喜びで満ちている。


新しい世界は、驚きと輝きに溢れている。


そして、新しい世界を遊びの中からリクリエイトしている人がどんどん出てきている。



目に見えるカタチの世界でも、目に見えないせん潜象の世界でも。






どんな世界をクリエイトしようか。