老人ホームに入ればもう安心?
老人ホームに入りゃ、後は安心。
そんな呑気なことを考えているお年寄りに会い、何という楽観的な人なんだろうかと驚くことがある。
それも一度や二度ではない。
そんな人たちに出会う度に、懇切丁寧に説明してみたくなる。
どうせ言っても分からないだろうと黙っていると、
「地球温暖化や異常気象で地球も終わりよ、私たちはもうすぐ死ぬからいいけど」と。
おいおい、ちょっと待ってくれ。子どもや孫のことを考えてくれなかったの?
あ、捨て場のない放射性廃棄物の処分の見通しもないままに原発を再稼動させる感覚って、これかな。
地域の集まりで、特別養護老人ホームでやっている「タオル体操」をやってみた。
「老人ホームでは、この体操を午後3時に行います。でも、職員が掃除や入浴介助やおむつ交換で忙しいときには行われません。お役所の監査があるときにはやります。そんな日は昼食のおかずが良くなります。」
そんな説明をしてみたが、笑いが起こった。
本当のことなんだけどなぁ。
年寄りの食べる「焼き魚」には骨がありません。
丁寧に小骨の一本に至るまで除去されており、これまたご丁寧にも半身と半身をくっ付けて、形を再生してある。
どんな接着剤なのだろうか?
食品添加物ってことでオッケー?ww
夜間は20人を一人の夜勤者がケアする。
昼間は10人を二人か三人。風呂があるから、結局実質は一人だったりする。
担当ってことで、ケアプランだか包括支援なんちゃらとかを第一表から第五表までをパソコンで入力する。
年寄りから目が離せないから、当然にして夜勤明けとか休憩時間中がその入力や介護記録の作成時間。
年寄りは、ユニットケアという名の下に、10人のパッケージの中に入れられる。もちろん、それ以前の集団ケアよりは数段マシなのだろう。
ユニットケアなるものを考案した人には勲章をあげたい。
老人福祉が措置から契約に変わったということを耳にタコができるくらいに、社会福祉の授業で聴いた。
その為、年寄りは「利用者」と言われる。
社会福祉施設と年寄りの契約で成り立っているから、契約の「利用者」なのだそうだ。
あるとき、利用者に声を掛けられた。
「ちょっとこれをお願い」車椅子の「利用者」が頼みごと。
「ごめん、今忙しいから」
夕食までの時間に、施設の端から端までのリネン(シーツ)交換が今日の仕事。
それが終わったら、夜勤の人が来るまでに洗濯物をオムツカバーと分けて、それぞれの部屋に持って行って、夜用のパットを棚から下ろしておかなくちゃ。
おーっと、寮母室でお茶を沸かさないと。
夕食までに配茶しないと、気難しいSさんに怒鳴られる。
手帳にメモしたマニュアルは分刻みで、イレギュラーなことをしている暇はない。
ごめん、夜勤さんに頼んで。
誰が夜勤に入るかは、利用者の死活問題。
鉄道唱歌の替え歌、「タオル体操」懐かしいな。
九州の長崎と佐賀の県境にある小さな島の漁師の家に生まれて、家にお風呂がなかったから、近所にもらい湯に行く生活をして、それから温泉旅館の仲居みたいなこともやって、結婚して、夫婦で魚屋をやって・・・。
だから、ずっと刺身を食べて生きてきた。
けれども、施設に入ってしまったら、刺身が出るのは半期に一度のご馳走の日、あるいは県の福祉なんとかの監査のある日。
しかも透き通るように薄いタイと白く濁ったイカ。
「ブリの刺身が食べたい。醤油に着けたら、油がさーっと表面に見えるような刺身が食べたい。ヒラソは今はだめよ。それから天然よりも養殖がよか、油がのっとるから。刺身があったら、焼酎もよかねぇ。芋はダメよ、ムギか米。ダイヤ焼酎ならええ。お湯を沸かしてお湯割りにせな・・・。」
ごめんね、生ものの差し入れは禁止されとるから、持って入れんのんよ。
不思議やね、年寄りを守るためのルールであり、利用者に快適な生活を提供するためのマニュアルであり、社会福祉なんてそもそも人の幸せを作る、幸せクリエイト産業なはずなのになぁ。
物事が円滑に運ぶように、申し送りや伝達事項がみんなに伝わるようにするためのカタチがいつの間にか最優先事項に成り代わってしまう。
お金も使ってナンボのもんで、持っているだけでは何の意味もない。
何かをうまく流通させるための最も便利な方法だったのがいつの間にか取替えのできない自然の海だとか、古くてもう再生できないほどの逸品だとか、そういうものよりも価値のあるものの座にお金が座ろうとする。
いくらあれば、老後に安心。
多額の費用を介護施設に支払えば安心。
有料老人ホームだったら安心。
大きな会社が運営している社会福祉施設だから安心。
コンクリートの最新の施設だから照明はLED
オプションで介護タクシーに費用を払えば、先に死んだ旦那の3回忌法要にも行ける。
ギターの演奏が聴きたいと無理を言ってみたら、職員が休みを返上したり、超過勤務をしたりしながら、バリアフリーになっていない会場の床まで車椅子ごと持ち上げてくれた。
でも、聴きたかったのはあんな上品なクラシックギターじゃなくて、ロックのエレキギターだったんだけどな。
まさか今生で最後に聴いたライブのギターが世にも珍しい11弦だったなんてね。
帰りの車の中で、巨大な黄色い回転するMの字に遭遇したので、「あれはなんか?」と車椅子の上から尋ねてみたら、運転している男が「あれは進駐軍の食いものであります」っ言う。「食べてみたい」と試しに言ってみたら、なんやら機械に話して、100円で買えたようだ。意外に美味かったな、ハンバーガーとか言うたな。
事故をしてベッドに寝たきりなって初めて、介護されるってどういうことかが分かった。
動けなくなって初めて、動けることの有難さが分かった。
地球の裏側まで行って初めて、自分の居場所を知った。
結局、自分のことね、全部。
腰を悪くしたからもう介護の仕事に就くことはないとは思うけど、もし今だったらもうちょっとゆっくり介護できるのになぁ。
夜勤のときにはコッソリと刺身の差し入れでもしてあげるのになぁ。
焼酎なんてダイヤ焼酎なんてセコいこと言わないで、限定物の泡盛でご一緒しますぜ。