89歳のNさんのエッセイ。 『私が防府市長になったら』  五重塔と原発。

89歳のNさんのエッセイ。

『私が防府市長になったら』

米寿は誰でも知っている人生の区切り。この齢も過ぎた頃だったと思うが、私の周囲は友達も兄弟もみんな片付いてあの世に逝き、私の話し相手は全くと言っていいほど少なくなり、山に籠もるか、空想の世界に生きるかの選択を迫られる齢となった。

(中略)

先日、行われた防府市長選挙について。

今の防府市の現状からして、もし私が市長になったらの夢物語。

今の防府市には大きい会社としては、マツダブリジストンの工場があるだけ。工業都市でもなく、放送局も大学も、新幹線の駅も無く、文化の中心でもなければ、交通の要衝でもない。

基準局、保健所等の出先機関もなくなり、地方の中心都市ともいえない。

人口拾万あまりの「集落」である。

強いて取り柄といえば、のんびりした風光明媚な田舎町というところだろう。

ここ数年、人口の減少の一途を辿り、老人の町となろうとしている。

しかしその老人の町としては、交通の便は悪く、市の中心に住んでいる人だけが便利で周辺住民はこの上なく不便で、食糧ひとつ買うにも不便な町である。

一般的には立候補者はこの町に活気を取り戻すというのが、謳い文句であろうが、いまさらそんなことはいましばらく不可能と思う。

いうなれば、生存競争に遅れを取った町。それが今の防府市の現況と思う。

したがって他所の真似政治では徒に金をつかうばかりで良い事にはならないと思う。

今の防府市には、発想の転換こそ最大の急務だと思う。

そこで私が市長になったらの空想話。

基本理念としては、他所がやっているからやる所謂真似政治を止め、現場に合った防府独特の市民参加の政策を立案し、日本一安い市民税の町、すなわち住みよい街づくりを目指す。



(続く)


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89歳のNさんのエッセイ、『私が防府市長になったら』はまだ続きます。

この「防府市」が「山口市」でも「下関市」でも、「上関町」でも同じことが言えるんじゃないかなぁと思います。

「他所がやっているからやる真似政治を止める」という表現は面白いと思う。

一歩進んで、「何かをやるということから、何もしない」というのは、どうだろう?

何かをしなければいけない、良くしなければいけない、改善改良せねばならない・・・という発想さえ捨てしまうとか。

「今がダメ、将来はもっと悪い」よりも、「今で十分、あるものをしっかりと守ってメンテナンスして大事にする」方が結局は良いものが残る。


今をみればよく分かるような気がします。

瑠璃光寺五重塔を山口に残してくれた地域の先人には、本当に感謝の念が絶えません。

500年前の建築の素晴らしさを今に伝えるその姿。

同じ山口県内に、数十年後には始末に負えない核のゴミを残すだけの原発を本当に建てて良いのか?

上関町を散策していたときに、山口市から来たと伝えると地元のお年寄りに言われた。

「山口はお寺とか美術館とか図書館とかいろいろあるからいいね。上関はなくなっていく町だから」と。