90歳のN氏の想い 『終戦記念日に思う』
90歳のN氏より
『終戦記念日に思う』
平成26年8月15日 雨
毎年8月15日になると、戦争の思い出と戦争反対の議論がテレビも新聞紙上でも賑わしているが、本当に若い人たちには理解されているだろうか?
今の世、食べる物も着る物もあり余っている生活をしている若者に戦争中の衣類にしても食べる物のない話にしても、それは飽くまでも若い人たちには想像の世界であって、本当に理解することは難しいと思う。
従って、体験者の話なんて自己満足以外の何物でもないと思う。
今日もテレビで子供が我々の戦時中に食べていたスイトンを試食して、その味が薄いとか言っていたが、食べる物のないことは、理解されていないと思う。
私は思う。
戦争中の話は単なる老人の思い出話であって、桃太郎の御伽噺と同じく、しないよりはした方がよいと思うが、これによって戦争反対に結びつくとは考えられない。
むしろ、教育の場において、理論的に戦争はしてはいけない理由をしっかりと学ぶべきだと思う。
日本だけでなく、世界にその考えを訴えてこそ、戦争はなくなるもので、戦争とは相手があることも理解すべきである。
69回目の終戦記念日、同じようなニュースの流れでなく、もう一歩前進した報道はみられないものだろうか?
医学も科学も戦後70年間に長足の進歩を遂げているのに、精神的なものは進歩どころか、逆行している様に思えるが、どうしてだろう?
世界中の人たちがまた昔に戻って、争いを繰り返しているのも不思議で、人間の欲の世界は何百年も前も変わらないように思うがどうだろう?
因みに戦争で物のない話はよく聞くがどうして物が無くなるのかは話しきれていない。
物が無くなるのではなく、戦争に物資も費用も使われるので、一般庶民のところに廻らなくなるのだ。
何時の世も戦争で苦しむのは一般庶民と第一線で働く兵隊だけであることを銘記したい。
卆寿翁