水はいつも透明で柔らかく、火は太陽のように暖かい。 どんなことが起ころうと、この町とこの星と運命を共にする覚悟はある。
閉店後、長らくシャッターが閉まったままだった老舗の洋品店が解体されて、更地になった。
ここに14階建てのマンションが建設されることが決まった後に住民説明会が開催された。
風向きと日当たりが変わることを新しく入居する人が考慮することもなく、下界の家の庭の藤の花が咲かなくなることをイメージすることは永久に無い。
15年営業されていたアジア雑貨店が先月末に閉店になった。
ここは解体されて、月極めの駐車場になる。
郊外の大型店では増床が決まり、田畑が埋め立てられて駐車場になる。
小さな店の店主の奥さんだった人がレジ係になり、要介護の主人の見舞いにも行けない。
20年前に2億円を掛けて作られた「魔法の屋根」は、20年後の子供たちへの負の遺産になることは、もはや魔法などではない現実だ。
町おこし、地域活性化、再開発の名の下に、何度もアンケートや会議やワークショップや宴会を開いて集めたという地域住民の英知は、どこかのコンサルタントや学識経験者のレールの上に始めからあった。
「古くなれば古くなるほど美しさを増すものと、作られた時が最も美しく時が経てば価値を失うものがある」と教えてくれたのはベジタリアンのオールドヒッピーだった。
愚痴ばかりを言ってるあいつのようにはなりたくないので、結論ありきで進む座談会に参加してみる。
やっているのは、アンケートの項目に「わからない」と「どちらでもいい」のどちらがふさわしいかを考える3時間の話し合い。
意見を求められたので、「分からないし、どちらでもいい」と答えたが団塊の世代には全く通じず。
屋久島で会った女神様に心を取り戻すにはどうしたらいいかと尋ねたら、それは水を汲み、火を灯すことだと教えを受ける。
山口には太古の昔から今も湧き続ける水があることを知り、それをいかなる援助も受けずに自分の手で実行し続ける人がいることを知る。
戦後に植え付けられたのは、GHQの洗脳だけじゃなく、会議を重ねて多数決を採れば、それが良いことで、責任はみんなにあるというクソ民主主義。
誰かの中に生まれたインスピレーションが現実に活かされる可能性は天文学的に低い。
周りにあるものを使って、できるだけお金を使わないように、祖父の飯盒と鉄鍋で料理に挑戦する。
杉の葉や使い捨ての割り箸はゴミなどではなく、むしろ最高の着火材。
特別擁護老人ホームでは、火災の危険性があるからと80過ぎの退職校長が20歳前の茶髪バツイチ子持ちの介護福祉士にライターを取り上げられる。
7年と半年の社会福祉施設の実習は、わずか1ヶ月のインドカルカッタマザーハウスでの経験を凌駕する懲役刑。
夜勤のときにこっそりとご禁制の差し入れをしていた婆さんが死ぬ前に手渡してくれたのは「心づくし」と震える手で書いた皺くちゃの白い封筒。
中に入っていた3千円は夜勤明けのパチンコで3秒で送金。
老人ホームでは「利用者様」と呼ばされていたが、辞めてしまえば人と人。
不自由な手で1日に3つ編むことができるアクリルたわしが世間との最後のつながり。
50個編めば介護付きの外出ができると約束した今、カラフルなたわしが彼女と俺の地域通貨。
水はいつも透明で柔らかく、火は太陽のように暖かい。
どんなことが起ころうと、この町とこの星と運命を共にする覚悟はある。