山口三名水の最後のひとつ、柳の水。その水を守っている人たちに出会った。柳の水を守る会
大内氏の時代より山口三名水といわれる、朧の清水、藤の水、柳の水。
朧の清水は、山口市中央5丁目、西京銀行の裏に。牛を洗う人がいたり、食器を洗う人がいたりするほど、豊富な水が湧き出ていたらしい。
今はもう飲めない。
藤の下の水は、山口市道場門前1丁目の一の坂川沿いに記念碑が。
記念碑が立っているくらいに美味しい水だったのだろう。
柳の水は、山口県庁に向かって左側、山口大神宮の前を通り過ぎて、坂道を登って、五十鈴川砂防ダムを越えたところにある。いまでも飲める唯一の三名水。
以前に行ったときは、草ぼうぼうの藪の中にポツンと水甕があり、あぁもう誰も水を汲みに来ないから荒れてきてしまったなぁと感じた。
「もう柳の水も枯れてしまった」と思っている人も山口市民にはいるくらいだ。
今日、久々に行ってみたら様子が変わっていた。
二人のおじさんが「柳の水」を守っておられた。
川から石を運んできて、柳の水への参道を作っておられた。
あぁ、柳の水は生きてた。
久しぶりに飲んでみた。
柔らかい、丸い、とがったところのない水だった。
自分の住んでる地域に、飲める湧き水があるということの価値がそろそろ認められてもいい時代になったと思う。
守る会のお二人のお話によると、市や県などの行政に働きかけてきたけれど、話が通じないらしい。
山の湧き水が飲める場が、県庁のすぐ裏にあるということがどんなに奇跡的なことか。
しかも、その水は遥か昔、大内氏の時代からその味を讃えられてきたものだ。
大きな施設を作ったり、イベントを開催して人目を惹いてみたり、その場しのぎの報告書を作るために企画したものはヘッドトリップの世界だ。
そんなことよりも、飲むことができる水が湧いている場所を守る。
とてもリアルで、筋が通ったことだと思う。
飲める水があることの幸せ。
雪舟、ザビエルも飲んだ水を今も飲めるということ。
イメージの世界を少しだけ広げてみると、維新の志士たちの喉を潤したことがあったかもしれない。
願いが叶う水なのかもしれない。
タンクに水を頂いて、思わずかしわ手を打った。
ここにはここの地のスピリットがある。
だから、このお二人がここを綺麗にしておられる。
山口三名水の最後のひとつ、柳の水。
その水を守る会。
柳の水を守る会。
この地域の人たち全員がこの水を守る会なはずだし、だから我々はここで暮らしていけるのだ。
ありがとうございます。
生命の水を頂きます。
山口三名水の最後のひとつ、柳の水。
水を汲んだり、火を見つめたりすること。
生命とつながること。
かつて屋久島で出会った天女さまは、生命につながることは、
「水を汲んだり、火をみつめたりすること」だと喝破していた。
火は「カ」、水は「ミ」
火と水に感謝を捧げることは、神(カミ)につながることなのかもしれない。
どこの誰かは知りませんが、柳の水の動画をYoutube にUPしておられる。
マニアはおるなぁ。