上関町祝島でワシは、飲んで食って話して、そして感じた。そっからちょっと考えた。
いち
一
市
いちば
しじょう
いちからはじまる
言葉遊びだけど、きっと「いちからはじまる」はそういうことだと思う。
自然発生的な何かは、ゼロから。
そして、いちになるんだとおもう。
2013年2月17日、祝島の朝市はすっごい楽しかった!!
そして、またつながった。
うまくいえないけれど、おいしいものがあって、仲間がおって、楽しくて真剣な会話があって、そこにはそれがあった。
本当にうれしかった。
公有水面埋立免許の不許可を求める島の人たち。
テレビで観るのと全く違うことを知ってるから。
反対とか推進とか、語弊を恐れずに言えば、よく分からない。
申し入れの対応に出てくる県庁のお役人さんは、もう知り合いだ。
きっと誰かのお父さんで、誰かの息子で、家のローンがあって、子どもの習い事なんかにも積極的に参加する「いい人」だのだ。
県庁の警備に立つ人も、「もう何とかなりませんかね?この状態」って思っている普通の人だった。
抗議を30年も続けてくれた祝島のじいさん、ばあさんのお陰で山口県には、今も原発がない。
この努力がなければ間違いなく上関には原発が建てられていたし、縄文遺跡のある我々の祖先の宝、田ノ浦遺跡は原子炉の下に押し込められていたはずだ。
田ノ浦ギャザリングみたいな音楽イベントや、県知事選挙みたいな政治色のあるもん、それから映画の上映会とか、いろんなことに関わってみたり、参加してみたりした。
ハンガーストライキの若者に、後頭部をぶっ叩かれる気がして、時間をお金に換えるというビジネスモデルの枠から出た。
お金ではなく、人の縁の中でつながって生きる。
友人の結婚式でもよく分かった。
心意気だ。
心でつながる。
老人力といっても過言ではないものがある。
徳地の「無人 道の駅」には、いつもおばあさんがいて、笑いが絶えない。
いったいどこが「無人」なのかとツッコミを入れてみても、カラカラと笑っている。
京都に行くと、ここまで洗練されて、スタイリッシュ(笑)になる。
これも見本。
だけれども、これを真似すりゃいいってことじゃない。
かっこいいけど、破天荒!!
よくセンスがどうのこうの、お洒落がどうのこうの言うけど、ひとつのモノの尺度。
生きてきてこれまでのひとつのメガネやけどと思う。
どれだけストーリーがあるかってことで、食べ物や持ち物に対する思い入れや感情みたいなもんって変わるし、気持ちが入る。
大切な友達からもらったものや、親兄弟から受け継いだものって大切。
その究極に自然みたいな大きなもんがあって、原発ってそれを分断したり、ぶっ壊そうとするもののように思える。
2月16日午前10時 室津の港
祝島行きの「いわい」が目の前を出航するのを呆然と見ながら、まぁ遅れたということは、そういうことだろうと思った。
だから、上関町室津の食堂「おふくろ」で昼飯。
こんなに安くて、質が高くて、美味いものを食わせてくれるところを世界中を探して周ったけど、どこにもなかった。
鯵の唐揚げとフライ、刺身と味噌汁と小鉢が付いてて600円。
そりゃ世界には珍味、美味、いっぱいあるけど、やっぱり地元山口が最高なんだ。
でなければ、戻ってなんか来ないわ。
時代遅れだと思っていた茅葺屋根の農家が「伝統的建造物保存」という文化になった。
古くなれば古くなるほど良くなるものと、新しい時点が最高で古くなれば輝きを失うものの2つがあるように思う。
これも魔法のメガネ。
駄目だと思っていたモノやコトが、見方を換えるだけで10円も掛からずに輝いて見える。
何かを作ったり買ったりすることをしなくても全てが一瞬にして輝く魔法。
今、あるものを大切に使うこと。
ブームになってからでは、もう遅いよ。
竃ヶ関焼きは、もう継承者がいない。
蒼と紅が混ざった色が器の表面を流れる様は、齢90を越えた男の執念さえも感じられる。
縄文土器は手に入らないが、竃ヶ関焼はまだ入手できる。
こんな発色をする器をこれまで見たことがない。
島のあちこちに、朝市のチラシが貼ってある。
虹が出た。
GOサイン!!
いつものサインが出た!!
祝島の石豆腐を20日間、味噌に漬け込んで、それを串に刺して、衣を着けて揚げたもの。
こんなすごいことは料理人でないと考えつかないね。
いつ行ってもいつも学びがある。
本当に感謝してます。
ありがとうございます。