ぼくは老人クラブに入っている。
ぼくは老人クラブに入っている。
町内の老人クラブだ。
月に一度、地域の交流センターで集会がある。
かつては、公民館と言っていたものが建て替えられて、2階建ての立派な設備のコンクリートの建物ができた。
交流センターにはキッチンも備えてある。
4月の集会は、県庁の近くで花見をした。
桜の花が咲く中で、近所のうどん屋が最近売り始めた弁当を食べた。
ヘルシー弁当と銘打った390円の弁当は、値段なりのものだったが、集まった老人の一部からは不満の声が上がった。
世話人からしてみれば、年金暮らしの老人の財布の中身を心配して、できるだけ低予算でという思いがあった。
だが、せっかくの花見に冷凍ものばかりを詰めた弁当は頂けないというの理に叶っている。
手作りの料理が当たり前で、冷凍食品など存在しなかった頃から生きている人の舌はごまかせない。
その花見の席で声が上がった。
「今度は私がみんなに料理をして振舞いましょう。」
なんと男性の会員からだ。
奥様をはやくに亡くされて、一人暮らし。でも嫌々に家事をするわけではなく、料理も大好きといわれる。
それでは、6月の集会では交流センターの調理室を借りて、腕を奮ってもらいましょうということになった。
その日が今日だ。
腕を奮うと手を上げた彼はA4の紙に、メニューとレシピと盛り付け案を手書きにしてみせてくれた。
しかしながら、その手作り料理教室は中止になった。
会員の中から、「食中毒がでたら誰が責任を取るのか?」という声があがったらしい。
結局、また仕出しの弁当を注文した。
交流センターの調理室で、冷凍の弁当を食べることが安全安心ということらしい。
どこかで誰かが作ってそして運ばれた弁当の方が安全。
これからその集会なのだが、調理室にわざわざ集まって、プラスチックの容器に入った冷凍弁当を食べるという集会。
レシピまで用意してくれた彼に対してあまりにも申し訳ないという声もあって、せめて味噌汁くらいは作ってもらってはどうかという意見も聞いたが、それも駄目らしい。
この老人クラブの名前は、「いきいきサロン」という。
いったいどこに「いきいき」したものがあるのか?
多額の税金を使って整備された交流センターのキッチンの前で、その設備を使うことなく、冷凍の弁当を食べる。
何かが起こってはいけないから、誰も責任を負いたくないから。
あぁ、これは以前に勤務していた特別養護老人ホームの発想と同じ路線だ。
毎日の食事が大手の医療食品会社の委託に代わって、魚さえ骨抜きになった。
文字通り「骨抜き」なのだ。
魚の骨が利用者様(老人奴隷のことをそう呼ぶ)の喉に刺さるのを防ぐために、調理する工場で、小骨に至るまで除去し、ご丁寧に再び張り合わせてある。
見た目は魚の形をしているが、骨は全くない。
元鮮魚を営んでいた利用者が訴えた。
「普通の魚が食べたい」
九州の小さな島で生まれ、漁師の家に育ち、嫁いだのは魚屋。
毎日新鮮な魚を食べていた彼女なら、当たり前の訴えだ。
僕は、家にあった七輪と炭を持って、出勤前に老人ホームの近所のスーパーで、旬の秋刀魚を買って行った。
中庭で炭に火をつけ始めると、年寄りが集まってきた。
オール電化でIHしかない施設に火が点るのは面白かった。
100歳の年寄りが火吹き竹で七輪に向かう姿は、こう言っては失礼かもしれないが、かわいいものだった。
炭火で焼いた秋刀魚が本当に美味しくて、利用者様に好評だったことは言うまでもない。
利用者の嗜好をファイルしている資料に「魚は嫌いなので代替を」と書かれている100歳の年寄でさえも、「おいしい」と食べてくれた。
しかも上手に箸で小骨を除けて!!
魚屋を経営していた年寄は、頭も骨も残さずに食べた。
大好評だったのだ。
ここで話は終わらない。
職員や施設管理者からのクレームがあがったのだ。
施設の外から生ものを持って入ることは禁止されている。
火災の危険性がある。
まず計画書を作成し、稟議しなくては行事は開催してはいけない。
なるほど、ここは日本だった。
結局そんなことの繰り返しで、そこの施設はクビになった。
職員や管理者からは嫌われたが、そこの年寄りからは慕われた。
それはそうだろう、夜勤のときには内緒で、酒や焼き鳥の差し入れをしたりしていたから。
今も時折、電話が掛かってくる。
「刺身が食べたい」
社会福祉の名の下に集まっている○○委員の会合で、この焼き魚や刺身の話をしたら、怒られた。
「食中毒でも起きたら、○○委員としてどうするんですか!」
びっくりした。
自分もその老人ホームに入る可能性があるという想像力の欠如。
社会福祉の名の正義が、新鮮な刺身を殺す。
僕は社会という名の大きな老人クラブに入っている。
ラスタの人はこれをバビロンシステムと呼ぶ。
今から、そんな「いきいきサロン」が始まる。
調理室で、冷凍の弁当を食べる。
僕は社会という名の大きな老人クラブに入っている。
時々、無性にアジアの猥雑な屋台や、インドの目つきの鋭いホームレス、目の前で絞ったサトウキビの汁、言葉巧みなプッシャーが恋しくるのはこういうわけだったと理解した。