89歳の大正生まれと、28歳のアルゼンチン人の話。

89歳の友達ができた。

大正14年生まれだから、亡くなった祖母と同じ年。

以前に勤務していた老人ホームでの感覚になると、対年寄りモードの付き合いになる。

しかしながら、新しい友達Nさんは違う。

一人の新しい友達として話すことができる。

それどころか、その感覚は僕にとって新鮮なのだ。

Nさんは、「私は思う」と題して、筆書きの随筆を書いて読ませてくれる。

大正生まれの89歳の彼の感覚が、その和紙の上でいきいきと踊っている。

先日頂いたのは、『今日一日』というタイトル。

僕の89歳の新しい友達の一日を。





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『今日一日』


89歳の誕生日を明後日に控えた平成26年6月9日、梅雨の最中ではあるが、先ずまずの天気。

午前7時起床、朝食7時30分。

庭の手入れをして、そのゴミを私の山に捨てに行く。

午前10時、堀の丸久に買い物に行く。

午前11時30分、昼食。

午前11時50分、山口に向け、出発。

山口の友人宅に着いたのは、午後0時20分。

途中、普通の日だが今日は思ったより自動車が多かった。

彼の家でSさんと落ち合い、しばらく雑談。

12時40分頃、Sさんを伴い、彼の自宅に向かう。

午後1時前、彼の自宅に到着。

彼の知人らしいアルゼンチンから来たというフェリペさんを誘って、カンポの宿を目指す。

Sさんがお互いを紹介してくれたが、耳の不自由な私には彼の言葉がハッキリと理解ない。

彼は見たところ、30歳前後の若者のようだ。

彼は温泉に入るのは初めてのようだ。

温泉の脱衣場で上着は脱いでいたが、下衣はなかなか脱ごうとしない。

私が裸になって彼に下衣を脱ぐことを勧め、一緒に温泉に入る。

彼が手で石鹸を体に塗ろうとしたので、日本流というか、タオルに石鹸をつけて体を洗うことを教える。

体を洗った後、外の露天風呂に入ることを勧めたが、彼は動こうとしない。

後はSさんに任せて私ひとり露天風呂に向かった。

しばらくしてSさんが、露天風呂に来たがフェリペさんは連れて来ていない。

彼はどうしたのかと聞くと、「明るい外で、しかも裸でお湯に入ることには抵抗がある」らしいと。

外の風呂に私とSさんの2人になった頃、ようやくフェリペさんが入ってきた。

私がこれが日本の裸のつきあいだというと、彼は解ったようでニッコリと笑った。

(中略)

Sさんの通訳のお陰で楽しい思いをした半日であった。

最後に国民性の違いというか、ひとつ勉強になったこと。

フェリペさんを家まで送り、彼は感謝の握手をしてくれたが、その後、さっさと自宅の中に消えた。

日本人ならそこに立って車が去るのを見送る姿があろうが彼らにはそんな習慣はないらしい。

私が家に帰ったのは午後6時。いつものごとく風呂に入り、私の一日の行動は終わりだが、今日は充実した一日を過ごせたような気がするがどうだろう。

卆寿を目の前にした老人の一日とすれば上出来ではないだろうか。


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引用、終わり。


89歳の彼がアルゼンチンから来たばかりの28歳のフェリペに風呂の入り方を伝授する場面が微笑ましい。

お別れの仕方に国民性の違いを感じたというが、もし僕だったらフェリペと同じ行動をとったかもしれないなぁと思うと、頭を掻かなければいかん。

来日したばかりのアルゼンチン人にとっても、いきなり89歳の日本人と会って驚いたことだろう。

年齢と地域と、縦の糸と横の糸のつながりが面白い。

地球の丸で裏っ側の、年齢も全然違う2人の出会い。

それを文章に綴るNさん。

Nさんの「私は思う」は面白かった。

卆寿を目の前にした老人の一日とすれば、ではなく誰からみても、上出来です。