N氏のエッセイ 『私が防府市長になったら』
N氏のエッセイ
『私が防府市長になったら』
私が行っている防府のスーパーでは、8〜9割が老人か老夫婦。
今日見た山口のスーパーでは、その8〜9割が若者かあるいは親子連れで老人の姿はほとんど見かけない。
これはどうしたことだろう。
住民の層が違うのか。
わずか半世紀足らずで世の中こんなに変わるものだろうか。
終戦後、昭和20〜30年代は山口よりも防府の方が活気があった。
防府にはカネボウ、協和の2つの工場の他、中関の塩田跡に日本鋼管が来る噂もあり、中国地方屈指の工業都市になるのではないかと希望に満ちた町だった。
その防府で突然誘致反対運動が起きた。
漁業者たちの反対で日本鋼管誘致は夢に終わり、日本鋼管は広島県の福山市に移ることになった。
当時は福山市も防府市も同じような町であったが、日本鋼管の行った福山市はみるみるうちに中国地方有数の都市になった。
防府市の中心にあったNHK放送局も西浦にラジオのアンテナだけを残して何時の間にやら山口に移転した。
終戦後の日本復興の波に乗った工場誘致合戦の頃は反対派の意見が強く、結局他所にどんどん工場が出来るのを指を咥えて見ているのが防府市の現状だったと思う。
百貨店誘致にしても、そごうが来るような話もあったが、地元商店街の反対でこれも話だけで終わった。
山口よりも地形的には海にも接し、平地も広く、水も豊富で都市づくりには向いている防府。
何かあると地元の反対が強い。
結局、余所者排除というか、他の勢力の発展を嫌ってきた防府は徳山にも山口にも遅れた。
時代の波に乗れない田舎町で終わった。
山口市合併のときも主導権を山口市に握られて、これからも脱落。
なんだか詰め将棋の王手となった様な状態が現在の防府市のようだ。
近代化に縁のない町ではあるが、日本中が近代化に湧いた時代は終わり、これからはまた違う発展の仕方があると思う。
(続く)
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上関の原発誘致もその時代のノリの延長線上にあるんだろうなぁ。。。