『現代社会と油蝉(アブラゼミ)』
90歳のN氏の随想
良いとか悪いとか正邪の問題ではないが、昔の家族制度の時代に子供のときを過ごしてきた私の目には、
現在、仕事から離れ、社会活動から遠ざかり、自分ひとりの生活を模索している私には、
今の社会が次のように見えてくるが、どうだろう?
じいさん、ばあさんと孫が一所に生活していた戦前が良いというのではないが、当時のじいさん、ばあさんには、ニコニコした老人の笑顔があった。
しかし、最近の老人にはニコニコした笑顔を見ることが少なくなったように思う。
世の中、老夫婦、若夫婦と別々の生活をするようになったせいもあるのではなかろうか?
老人には孫とか曾孫が最も生活に影響すると思うがその孫とか曾孫に接する機会はほんの僅かか皆無といってもよい。
そして、近所隣りの付き合いも無くなりつつあり、人間の精神的な絆が失われようとしている今の世の中。
老人ホームとか介護施設とか病院とか、一見、病人には便利な世の中になったように見えるが、この施設に入っている老人たちの姿を見ていると、私の目には夏の盛りを過ぎた頃、道端で羽をバタつかせてながら、蟻に集られている油蝉(アブラゼミ)の姿の様に見える。
蟻にとってはこの上ない新鮮な食糧だが生きたままでかじられている蝉の身になればつらい話で、はやく痛みから解放してもらいたいと思っているのではなかろうか?
福祉産業といい、老人たちがその対象となっているが、裏を返せば若い人たちの生活の糧を稼ぐ場となっている。
私はそれが悪いという訳ではないが、そこに働いている若者たちの待遇があまりよくない話を耳にする。
介護の仕事にしても、看護の仕事にしても、決して楽な仕事ではない。
精神的にもつらい仕事であろう。
せめてそこで働く若者たちによい思いをさせる待遇をして欲しいと思う。
商業的な考えだけでなく、老人の人生最期の面倒をみて貰うわけだから、老人も若者の為になったくらいの自尊心をもてるような、若者も勤めてよかったと思える職場にはできないものだろうか?
企業経営者も政治家もその辺りに目を向けて、利益追求ではなく、楽しい福祉の現場にしてもらいたい。
苦しそうな蝉の姿ではなく、子供に囲まれた老人の姿であって欲しい。
卆寿翁