沈没船に乗り込むよりもヤギのように生きたい。
『浜屋の生かきもち』
写真を撮った。
もう買えないから。いつもあると思ってたから当たり前のように思ってたけど、もうない。お店を閉めてしまったから。
近所の持ち帰りのお寿司屋さんも廃業。
馴染みのアジア雑貨店も今月で弊店するという。
個人で営んでいるお店がどんどん閉まっていく。
シャッター街はまだマシだったなと、マンション建設が始まって思ったのは、シャッターの前で歌う青年が消えたから。
そんな中、町興し、街づくりの冠の付いた会議に参加してみると予算が一千万円あるという。
一つの校区のその会に。
そして何に使っていいかを住民アンケートで決めると。
しかも無作為抽出の2000人、想定回収率35パーセント。アンケートの為の予算70万円。
アンケートの設問を決めるための会議。
良いのか悪いのかは分からない。
ただ、個人で細々と営みを続けてきたお店が閉まってゆく中でのこの策には違和感を覚える。
ちょうちん祭りの竹の切り出し、運搬をさせて頂いたけれど、この予算で何年分のちょうちん祭りの竹が賄えるだろうか?
批判ではなく、お金に対する皮膚感覚の違いなのだ。
「何かをしなければいけない、何かを作らなければいけない」という強迫観念から導き出されたものでなければ良いなと思う。
でなければろくでもない箱物を作るか、しなくてもいいイベント作り、あるいは始めから結果ありきで導かれた、住民アンケートをアリバイとするカオスの出来上がりになる。
選挙でも、TVでも、何かにつけて「維新、維新」というけれど、もはや山口に必要なのは、維新などではなく維持だ。
会議に参加しておられる人の観察と、計画決定のプロセス観察の為に今後も参加してみる。
おそらくは、日本中のあらゆる地域で行われていることの縮図がここにありそうな気がするからだ。
住民アンケートの実施が社会学的調査ということらしいので、その社会構造を民俗学的に参与観察させて頂く。
老人介護の世界に「介護民俗学」は画期的だった。
町おこし民俗学には、登場人物が多くて面白い。
「あぁ、やっと帰れる」
隣の知らない人が会議終わりに呟いた。本音だ。
団塊世代が何十人も何日も掛かって何時間費やして、ペットボトルのお茶を飲みながらどんな方向に進むのか?
「柳の水」の屋根の支柱にオスモカラーの塗装をしてみた。
脈々と続く水の保全に関わらせてもらう幸せ。
蛍光灯バリバリ、エアコンの効いた中での2時間の無言よりも僕はそれが好き。
耕作放棄地の草を食べてくれるヤギと戯れる方が好き。
無為徒食
沈没船に乗り込むよりもヤギのように生きたい。