マンションを見るために人は集うのではないし、駐車場に車を停めたく
買い物に行こう。
できるだけ、地元で買い物しよう。
知り合いから買おう。
身内でお金をできるだけ回そう。
顔の見えるお付き合いをしよう。
何の用もなしに歩こう。
商店街で遊ぼう。
アーケードを歩いていたら、托鉢のお坊さんに出会った。
編み笠に草鞋、色褪せた僧衣。
鈴を鳴らして歩いておられる。
駆け寄って、100円を鉢の中に入れさせて頂く。
「〇#ждЯШ£・・・」
何とは分からないお経の文言を唱えられる。
思わず帽子を取って、合掌して、頭を下げた。
神社でお賽銭を投げて、ご幣で頭を撫でてもらう時とはまたちょっと違う感覚だ。
神社では神様に「生かして頂いてありがとうございます」とお礼を云う感じだけれども、托鉢のお坊さんには道を示して下さって「ありがとうございます」という感じ。
こちらもお礼、お坊さんもこちらに向かって手を合わせ。
あぁ、ええなぁ。
買い物の行き先と、お坊さんの托鉢の方向が同じでしばしの間、同行二人。
「あぁ、こんなところにもマンションが建つんですねぇ。」
「中心部に人口を回帰させようということらしいですよ。」
1kmも続くこのアーケードの商店街の端っこと端っこにマンションが建設される。
お坊さん曰く、
「寂れる商店街の法則があるのって知ってますか?」
「いえ、知りません。どういう法則ですか?」
仏教に帰依するお坊さんになぜだか知らないが経済の講義を受けようとしている面白さを心に感じながら尋ねる。
「それは、これです。」
禅僧は編み笠の下から目をギョロリとさせて、虚空を指差した。
「マンションができることですか?」
「そうです。何故だかは分かりませんが、そういう法則がデータとしてあるそうです。」
何故だかはこれまた分からないが、妙に納得した。
マンションを見るために人は集うのではないし、駐車場に車を停めたくて車で商店街に来るのではない。
「それでは繁栄を続ける商店街の法則は何だと思いますか?」
「んー、なんだろうなぁ・・・。」
禅僧は答えを切り出す。
「団子屋と御茶屋があることです。」
「へぇ〜。」
「飽くまでも統計のデータから導いた法則の話ですよ。」
100円のお布施で、面白くて、ありがたいお話を伺った。