そもそも国境なんて存在しない地図上の線。
竹島や尖閣諸島の問題が、山口県と広島県の県境の問題だったらこんなに大きなことになるだろうか?
そもそも国境なんて存在しない地図上の線。
実在しないものについて議論をしても、正解はない。
だって、ないんだもん。
そこに意識を持っていかれてしまうこと自体が怖い。
旅をしているときに、ペルー人がボリビアのことを下に見ているのを感じて、「あぁ、隣りの国同士って張り合うんだな」と思った。
地球の裏側から見ると、ペルーとボリビアの違いなんてどうでもいいことだが、その視点で見ると、日本と韓国の違いなんて、兄弟喧嘩にしか見えない。
韓国も中国も何度も旅をした。
親切で笑顔の素敵な人もいるし、ボロ儲けを狙って騙してくる人もいる。
けれども、それは日本も同じ。
中国だからとか韓国だからとか、そういうことじゃない。
TVや新聞、ネットで仲たがいさせようとしてるけど、きっと旅をしたことがないんだろうなぁと思う。
中国や韓国と、日本が仲良くなるとマズいと思っている人、もしくは国があるのだろうなと想像してしまう。
そんなに簡単にそれに乗せられるほど、僕たち日本人は馬鹿じゃないよ。
想像してみよう。
中国と韓国と日本がお互いに違いを認めつつ、得意なことをシェアし合って、足りないコトやモノを補い合い、あるコト、モノを差し出しあう。
技術、美術、思想、味覚、歴史、音楽、あらゆることがうまくいく。
韓国の友人たちにまた会いたくなった。
彼らは僕らのことを本当に友達だと思ってくれているし、僕らも彼らのことを大切な友人だと思っている。
政府や様々な団体、組織が友好を築こうとしているように見えるが、僕らは僕らで外交をやっているよ。
それは相手のことをきちんと尊重しているところから始まっている。
そこには、日本人だからとか韓国人だからとかって意識はない。
人と人、つながりあい。
僕たち人類はたくさんの戦争を繰り返してきた。
だからもう武器を取って殺しあうことはしない。
日本の内戦は西南戦争で終わり。
外国との戦争は太平洋戦争で終わり。
武器を取っての争いは終わったけど、それ以降は法律というカタチを取って、どちらが正しいかを争ってきた。
選挙というカタチもその枠組みの中にある。
けれども、それもどうやら上手く機能しないようだと分かってきた。
シンプルな感覚に戻ることしかないね。
本当に素敵な仲間たちに囲まれて暮らす日々の中、あぁ大丈夫だと根拠のない確信をした。
ありがとうございます
小さな喜びがやがて大きな喜びに。
小さな祈りがやがて大きな祈りに。
かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi02.htm