見慣れた景色も見方を変えれば、全く違った景色に見えるときがある。
見慣れた景色も見方を変えれば、全く違った景色に見えるときがある。
ヒマラヤの山の中の棚田もわざわざそれを見に来る外国人観光客からみれば、ファンタスティックでディープエコロジーな世界だろうが、地元の者からすれば「普通」だろう。
多くの観光客が訪れる山口の瑠璃光寺五重塔の美しさには誰もが「いいね!」を押すだろう。
夜のライトアップも冬の雪景色も池の水面に写る姿もいい。
ところが、その後ろにあるお寺の入り口のお土産物屋のごちゃごちゃした看板にも風情を感じる。
PCから出力されたカッティングシートには表せない手書きの「テレホンカード」の字。
近所の蕎麦屋のくたびれ加減は、映画のセットのように愛おしい。
屋久島の小さな港の個人商店の引き戸を開けると、ジブリ映画に出てくるようなおばあさんが出てきた。
廃材で作られたような掘っ立て小屋は沖縄の海辺にあった。
ここで食べたカレーは天国の味、未だにナンバーワン、あれよりも美味いカレーを食べたことがない。
昨年よく遊んでくれていたアルゼンチンの女の子は、今はロスのヘンテコな家にいると連絡があった。
何も遠くに行かなきゃ見つからないってわけでもないし、むしろ見慣れた近くのものの中に面白さを見つけることが快感だ。
山口川端市場の懐かしさ。
壊してしまったから、もうないけどね。
国体があるから、他所から来た人に見られて恥ずかしいって?
むしろ、外から来た特に白人観光客が最も喜ぶ場所だったんだけどな。
整然とした新しいものだけが美しいって直裁過ぎ。
侘び寂びとまでは言わないが、錆びの良さもあるね。
何でもいいっていうわけじゃない。
どうでもいいっていうわけじゃない。
味が出るまでには何十年も掛かるものもある。
壊さずに、ゴミにせずに、未来の子供達の教育の為に残しておいた方がいいものもある。