山口市 おでん 一八    21年前の新聞記事から  

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21年前の新聞記事より
山口市 おでん 一八』 でググっても出てこない「一八食堂」知る人ぞ知るおでん屋 一八 をご存知の方がおられましたら、ご報告とご連絡。おばちゃんは、この令和の世、めっちゃ元氣です。本人はfacebook なんぞ知りません。コメント頂けましたら、山崎光枝さんに伝えます。

 

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学生に愛された おでん屋「一八」        『懐かしい味が復活』

 

懐かしい味が二日間だけ山口市に帰ってくる。

道場門前商店街そばで、36年間学生たちに愛されながらも、4年前に閉店したおでん屋「一八(イッパチ)」。十月二、三の両日、一ノ坂川周辺である第四回アートふる山口に屋台テナントを出して復活する。安さと店主の気さくな人柄が人気だった。昔の常連や店のアルバイトらが出店に協力する。

 

「来月、2・3の両日 山口市でのアートふる山口で屋台テント」

 

『4年前に閉店 昔の常連客ら出店協力へ』

 

豆腐50円、卵60円、すじ肉120円・・・。閉店前もこの安さ。おでんと酒だけのシンプルな店の40ほどの席は、いつもの学生や元学生のサラリーマンたちでいっぱいだった。

一八は1959年、山崎光枝さん(73)と夫の一明さんが開いた。一明さんは89年に亡くなったが閉店前の6年間、光枝さんが切り盛りした。

学生運動の盛んだった60、70年代は、おでん片手に明け方まで学生たちの議論が続いた。実家に帰る旅費がなく、工面するため店を訪ねてくる学生もいた。

卒業後も勤め帰りに立ち寄る常連も多かった。しかし、おでんは仕込みに手間、暇かかる。光枝さんは体がきつくなってのれんを下ろした。

 

「昔の学生は貧乏だったけど、情熱にあふれとったですねえ」と振り返る。

今年6月ごろ、アートふる山口実行委員会が、イベントに「懐かしくて個性ある店」を出そうと話合った際、一八の名が挙がった。

 

「おでんを作るのは大変。当時の味はもう出せない・・・」。

 

光枝さんはためらったが、話を聞いたかつての学生バイトや常連客らが協力をかって出た。

店の雰囲気づくりに、当時の店の「看板」一役買う。のれんは自宅に残していた。ぼろぼろのちょうちんは仕立て直した。材料の手配は、昔の仕入れ先に頼んだ。

光枝さんは、だしの仕込みをアドバイスし、当日はテントにも立つ。

 

「お客さんのおかげで店はやってこれた。不安もあるが、昔を思い出して人が集まってくれるなら」と光枝さん。

 

仕込みを手伝う吉川恵昭さん(45)は、約20年間、店に通った。今は市内でレストランを経営する。「当時の味は出せなくても、ノスタルジーをみんなで味わいたい」と張り切る。

 

屋台は、同市後河原のクリエイティブ・スペース赤れんが前で午前11時ごろ開店する。大根、卵、すじ肉など6品1セットで1日に約100食を販売する