そろそろ動こうぜ、俺。 そんな焦りに似た声も聞こえ始める今日この頃。 アユタヤ

 

9月1日

 予想通り、予定通りの極限の二日酔い。

シャワーを浴びて、カオサン通りを歩く。

15B(約45円)のパッタイを食べて、宿に戻る。

 ドミトリーの2段ベッドの上に寝っ転がって本を読む。

リング2』コワイ。

 なんにもする気にならないので、なんにもしない。

タツヤくんとロッキーはマンガ喫茶に行ったみたいだ。

 バンコクにもマンガ喫茶ができるとは・・・日本文化おそるべし。

 夜は、京都から来た旅人とタイスキの屋台に出掛ける。

 京都の人は、ステキな人であった。

 タクシーの窓から見える夜景が流れるように見えた。

 ベッドの上で音楽を聴きながら眠る。

何度も聴いたことのある曲なのに、なんだか響いて聴こえた。

 いったいどこにいるんだろう?なんでここにいるんだ?

 2日

 7時過ぎに宿を出て、インド大使館に着いたら9時。

ここバンコクの交通事情はよくわからんわ。

4番の札をもらってただ待つ。

さんざん待って窓口にたどり着く。

 パスポートを渡す。

 「次は午後4時においで」

 信じられん。

さすがはインド大使館だ。

3回も足を運ばないとビザをもらえないなんて!ゆっくりとした時間の流れ。

 まぁ、こっちもヒマなのでいい。

 カオサンの宿に戻る。

社長とレックさんのラーメン屋さんに行く。

 ランドリーサービスに洗濯物を持ってく。

これまでの旅で最高に清潔な日々。

 2番のバスに乗って、またインド大使館に行く。ベトナムのフエで出
会ったキミエちゃんとポールにまた出会う。

 「インドでまた会おうぜ!」そんな言葉を交わす。

 みんなで屋台で夕食。

その後、GOGOバーに10人で行く。

みんな若いなぁ。1杯飲んで帰る。

 タツヤくんと2人でカオサンのライブハウスで2曲聴き、お粥を食べ
る。

 宿のバルコニーで眠る。

 自分に寄り添う。他人のことを考える。インドビザも取れた。


 そろそろ動こうぜ、俺。動き出すまで、放っておくけどね。

自分のことも他人事。

 こんな名前で、こんな旅人で、こんな日本人で、こんな年で・・・。

 そんな肩書きの前に ただの人だ。

使命感や目的や認識なんてまっぴら御免。

 そろそろ動こうぜ、俺。

そんな焦りに似た声も聞こえ始める今日この頃。

5年前にカオサンに来たときに、ストリートで本を売っていためっちゃカワイイ女の子、5年後にも同じところで旅行者相手に本を売っていた。

相変わらず美形だった。

笑顔が素敵だなぁ、本は買わないけど。

 3日

 7時に起きて、シャワーを浴びる。

タツヤくんたちはカンチャナブリに行くらしい。

こちらは、社長、ロッキー、マコトくんとアユタヤへ行く。

 ホァランポーン鉄道駅まで行き、そこから2時間列車に揺られる。

シャム王朝の都、アユタヤ。

かつて日本人町があり、山田長政が活躍した場所。

 小さな駅に降り立つと、バイクレンタルがあり、そこで2時間契約で
2台のスーパーカブを借りる。

免許を見せないと貸せないと云われたが、パスポートのコピーを見せて、「コレは日本で発行された国際免許です」

というとあっさり貸してくれた。

 正確には我ら日本が世界に誇る、ホンダスーパーカブのニセモノ。2
組に別れて2人乗り。

 さー、遺跡巡りだ!!


走り始めて5分でロッキーたちとはぐれる。

どうやらロッキーはバイクに乗ったことも運転したこともないらしい。

 こりゃ大変!と3分くらい彼らを探してみたが、見つからないので諦
めて、社長と2人でさっさと観光に出掛ける。

とりあえず、イチバンデカイ遺跡、ワットヤイチャイモンコンを見る。

 そこに立ち。社長と顔を合わせる。

 二人でほとんど同時につぶやく。「帰ろうか?」

 そもそも観光なんて無理。きょーみないもんね。



近くの屋台でヤキメシとシンハビールで乾杯。

 乾燥して、砂埃の道を無免許、飲酒、二人乗りで走る。

 夕方には宿に戻る。

 新しく入ってきた、タオ島からの帰還組と飯を食い、大通りのライブ
ハウスでオアシスのコピーに聴きいる。

 いい一日やったわ。

旅は続く。

「世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮世のアホは起きて働く」  バンコク




29 日

 日本にいるときはエアコンは苦手なものリストの上位にランクされる
が、バンコクでは話が別だ。猛暑、酷暑だ。

 そのエアコンのお陰で午前9 時まで眠っていられた。

ベッドの上でマンガなんぞを読んだりする。

 同じドミにいる日本人の女の子はパキスタン、アフガンを旅してきた
らしく、向こうで仕入れたオサマ・ビン・ラディン キャンディーを一
個くれた。

どこに行ってもオモロいやつはおる。

海外に出ると、日本に居られない選りすぐりのダメ人間がいる。


11 時にタツヤくんと目が合ったので、どちらからともなく「メシでも食いに行く?」ってことでパッタイを食べる。

 宿に戻るとさくらゲストハウスにいたはずのロッキーくんがこっちの
ゲストハウスに宿移りしてきた。

ロクデモナイ旅人がどんどん集まる(笑)

 ネットのBBSで格安との情報のある旅行代理店に行って、エアチ
ケットの価格を訊く。

店のオヤジはものすごい安い価格を提示してくるものんだから、こりゃスゴイ!と思わず身を乗り出して聴いた。

 そしたら、やっぱこんなウマイ話はあるわけないね、わざと税抜き、
保険抜きのプライスを提示してただけだった。

こんな店では買わないよ。

 宿のみんなで屋台でメシ。

 もうバンコクも3泊目かな?

インドのビザが3日に下りるから、4日発の便があればミャンマーにフライトできるなぁ。

 ここバンコクでは毎日が日曜日みたい。

 30 日

 目が醒めても起きない。

枕元にある本を読む。

この宿は午前10時まではエアコンを点けていてくれるから、それまではベッド上。

 シャワーを浴び、歯を磨くとスッキリ。

11時半にみんなで飯屋に行き、タイヤッサイを食べる。

 『頭文字D』もとうとう26巻まで読んじゃった。

「ちょっと出掛けてくるよ」とバングラ大使館を目指して出発。

何にもしな日々の中でビザを受け取りに行くってのは一大イベントだ。

15番のバスでスタジアム、そこからモノレールBTSにトンローまで乗り、55番の通りを歩いて到着。

締めて34バーツ。

受け取り時間までかなり余裕があるので、近くの病院のロビーで涼む。

バングラ大使館にて15:34、60日ビザを取る。うれしいものだ。

 歩きながら見つけたパン屋でカレーパンを買う。

511番のバスに乗り、なんのことはない15バーツで宿に帰ってきた。

 宿で寝てたタツヤくんとビザ取得オメデトウのビールで乾杯する。

 夜は社長とカオサンの2階にあるライブハウスで地元の若者たちの演
奏を聴く。

 飲み屋をはしごして、夜半に宿に帰る。

 一人で勇んで歓楽街へ行ったロッキーはまだ帰って来ていない。

 朝方、物音に気づくとロッキーが凹んで帰還している。

 相当、ボッタくられたらしい。

口角泡を飛ばして状況を説明してくれた。

 いいねぇ、若いって♪

 31 日

 午前中は社長の付き添いでシーロムセンターに行く。

体調が悪いみたいで、フライトを早めたいとのこと。

シンガポールエアラインのオフィスに電話するが、行った方がいいと。

 社長の用事なので、タクシーを使って移動。

すごいキレイなオフィスで受付もすごく丁寧。

さすがSQ!楽しいミッションでした。

 カオサンに戻って、タイ風オムレツで昼食。

12250Bでエアチケットを購入。

 バンコクヤンゴンダッカ→カルカッタの道。

 んで、昼寝する。

 その昔、バンコクの安宿にあったという落書き。

 「世の中に寝るほど楽はなかりけり 浮世のアホは起きて働く」

 夜はお粥を食う。

 表通りのライブハウスで地元のタイ人のにいちゃんたちと飲む。

 タイの酒、メコンで沈没する。

旅は続く。

困ったときには、困った顔をしてみるもんだ。  バンコク

 26 日

 時計をタイの時間に合わせる。

シンガポールで買ったタイ製の腕時計にBKKの表示。

ACが効いてて、蚊のいない寝台はいいなぁ。

バンコクではインド、バングラデシュのビザを取らなきゃね。

日数が掛かるようなら、タイ北部まで足を伸ばそうかなぁ。

 バックパックに括り付けた2つの太鼓、通り過ぎるみんながトントン
と叩いてゆく。友達作りに大活躍してくれる。

 大学生2人のうち、ナオミさんに『太陽の子』を、チヒロさんに『深
夜特急』をそれぞれあげた。

お礼にと空気枕をもらった。わらしべ長者みたいだ。

 朝食にと食パンももらった。こっちの方がうれしかった。

 バンコク、ホアランポーン駅に着き、彼女たちとお別れした。

近くにいた西洋人に声を掛けられる。

「すみません、バンコク初めてなんですけど、どこか泊まる所知ってますか?」

 カオサンに行くバックパッカーらしい。

今回はチャイナタウンに宿を取ろうかと思ったけど、見ず知らずの白人と宿探しも面白いんで、55 番のバスに飛び乗って、カオサン通りまで行く。

 前にも泊まったsrintip は満室だったので、伝説の宿 VSゲストハウスに行く。

ここのドミトリーはかなりいい!

荷物を置き、ここの周辺のツアー会社を巡り、バンコク発、ヤンゴン
ダッカ、カルカッタのルートのチケットのリサーチをする。

 MPツアーに行き、森さんと話す。

バングラデシュのビザについて相談する。

いつも頼りになるおっさんだ。

そこで滋賀県から来たロッキーくんと会い、友達になる。

 名前が弘樹なので、ロッキーと呼んでっていわれた。

おもろいやっちゃ。

 2人でチャイディーマッサージに行き、タイのおばちゃんにバキバキ
と体をほぐしてもらう。

 バンコクはやっぱええねぇ。一休み一休み。

 VSのドミトリーは1泊90B(270円)少し高い。

カオサンは日本人の旅人がたくさん。

なんかオシャレなところになってて驚いた。


 27 日

7 時半に起きて、インド大使館に向かう。

VSゲストハウスのおっさんにバスの番号を尋ねると、15 番と言われたのでそれに乗り込む
。1 時間もそのバスに乗ってたけど、わけの分からんところで、「終点だ、降りろ」と云われた。

 どこだ?ここは。

 あちこち彷徨って、インド大使館にたどり着く。

窓口で話すとパスポートのコピーがいるらしい。

ここが日本なら「近所のコンビニで・・・」

となるのだが、バンコクではそうもいかない。

 困ったときには、困った顔をしてみるもんだ。

 近くにいたイタリア人が「こっちに来い」と近くの大学の売店に連れ
て行ってくれた。

そこのコピー機を使わせてもらった。

 イタリア人って自分で言ってるけど、ほとんどインド人のサドゥーに
見える。助かった。ありがと。

 なんとかインドビザの申請を済ませて、大使館前にいたバイクタク
シーを拾う。走りに走ってバングラディシュ大使館へ。

 一日に二つの申請をした。

飯も食わずに奔走して、フラフラでVSゲストハウスに戻った。シャワーを浴びて、一息ついたところにロッキーくんが『地球の歩き方 ミャンマー』を持ってきてくれた。

一緒にバンメシを食おうってことになった。

 飯を食いながら、出会った日本人6人。

 いつの間にか友達になる。


オーストラリアでワーキングホリデー帰りのタツヤ、隣の宿は100Bでエアコン付らしい。

 スリランカ帰りの坊主あたまは、ビパサナ瞑想をしてきたらしい。

 いろんな情報が入ってくる。

 おもしれぇことになってきた。

 28 日

 朝イチで宿を移る。

隣のAゲストハウス。エアコン付で100B(約300円)

 オーストラリアからのワーホリ帰りのタツヤくんも早くから来てた。

ここで福山から来た‘社長‘に出会う。

ただのニックネーム。

そう呼んでくれっていうからしゃーないわな。

朝飯は、タツヤくんと2人で角の店でバーミーを食べる。

薄い味で朝食にはぴったりだ。

 宿にはフロントの棚に日本語の本、マンガがたくさんあり、ソファも
ある。まったりと『イニシアルD』を読む。

 ジーンズ、タオル、靴下、パンツをランドリーサービスに出す。

ここはタイ、バンコク。アジアの優等生。

コンビにもあるし、なんでもある。

 ちょっと贅沢させてもらおう。

45Bだがキレイになるのはうれしい!

 ロッキーくんに借りていた『地球の歩き方 ミャンマー』をコピーす
る。トラベルエージェンシーでヤンゴンの地図をもらう。さーて!行こ
うか、ミャンマー

 午後からまたチケット探しに通りを歩く。

帰路ナシのチケット入国はいけないっていうMPツアーの森さんの意見は真っ当だが、ガイドブック並に慎重だ。

 インド人の子供が店にいる travel in style でビーマン航空のBKK>RGN>DAC>CCUのチケットを買う。

800B(2400円)も安い。

申し訳ないがここで決まりだな。

 夜はロッキー、タツヤ、社長とナナプラザへ飲みに出る。コーラだけ
飲んで帰る。

 宿に帰る。

ドミトリーだけど、部屋にいるのはみんな友達。3時まで話す。

 話すことは日本のことばかり。

 外にいると内のことがよく見えるのはなぜだろう。

 一度、外に出ると内のことが分かるのはなぜだろう。

 いっぺん、死んでみたらこのLIFEのことも分かるのかなぁ?

 タツヤくんが持ってたアフリカのパチカと共に チベットのシンギン
グボウルを鳴らす。


旅とか人生とかって実はシナリオ通り なんじゃねぇのかなぁ?『 青い空が見えぬのなら青い傘広げて 』 ペナン〜タイ入国


 24 日

 よく眠った。

今日は移動するかなぁ?

それともここにもう1泊になるのかなぁ?わかんない。

弁慶民宿での日々、おもしろいなぁ。

酒も高くて、なぁーんもないマレーシア。

初めての海外一人旅のときもこの国を一周した。

おもしろい国やなぁ。

 この部屋、トタン屋根でエアコンもTVもなぁ〜んもない。

日中は屋根から壁からものすごい熱気を発するこの部屋が愛しく思えてくるから、不思議なもんや。

洗濯をして、パッキングをしていつでもどこにでも行けるようにする。

11 時半に山本夫妻が日産の革張りシートの車で迎えに来て下さった。

途中、風間さんという女性とも合流して、5人でランチ。

ホテルの中のレストランのビュッフェ。

中華粥とフルーツを食べた。

山本さんの自宅に案内してもらい、プール、ジム、オーシャンビュー
の素敵な部屋をみせてもらった。

日本人の新しいシニアライフ、夫婦でゴルフ三昧、豊かなお金の使い方・・・山本さんは体格通り、豊かな人だ。

宿まで送ってもらうと17 時、今夜の宿泊も弁慶に決定。

移動は明日の朝になった。

 おいしい食事、素敵な景色、豊富な話題、ありがとうございます。

 旅の面白さは、やっぱり出会うことやなぁって思った。

 マレーシアリンギットの手持ちがないので、千円分だけ両替する。

ネットカフェでメールをした後、またビーチに夕陽を観に行く。

 ビールを買ってきて、隣のアツコさんのエアコン部屋で飲む。

ひじきの煮物、切干大根を作ってもらった。

日本から持ってきた大切な食材。

チョーうまい!!

日本食は久しぶりで感動的。

やっぱ美味いなぁ、ありがとう。

 宇多田ヒカル、EXILLEのMDを掛けてもらいながら、また朝ま
で話す。

 いろんな出会いがあるけどさ、旅とか人生とかって実はシナリオ通り
なんじゃねぇのかなぁ?

 寸分もそのシナリオから抜け出れないんじゃねぇのかなぁ?

 でも、その筋書きを作ってるのって誰?

 自分かもしれない。

 自分で作った筋書きだから、出れねぇんでないかなぁ?

 旅用の携帯スピーカーから宇多田が流れる。

 『 青い空が見えぬのなら青い傘広げて 』

 25 日

 日本時間で午前8時にセットしたアラームの音で目覚める。

外は雨が降ってる。

 日本を出て何ヶ月か?

まだ時差が1時間の国にいるなんて・・・。

いつの間にか悩んだり、困ったりしている人を見つけて、「なんとかし
てあげるべき人」を作る。

そんな自分の癖がよく見えた。

福祉施設に勤務してるときのダメなモノの見方だ。

なんとかしてあげなければいけん人なんて、どこにもおらん。

かわいそうな人もおらんし、可愛そうな人もおらん。大きなお世話でした。

 反省!

 深呼吸する。自分は自分。

 内も外もない。そのままこのまま、動かされるまま、動くまま。

 アツコさんが旅のお守りにとテルテル坊主をくれた。

バス停まで見送ってくれた。

今日、出発なのは正解だ。早くも遅くもないね。

 途中、視覚障害者の娘を連れた母親がバスに乗ってきた。

斜め前に座っていた、腕にタトゥーのある厳つい白人がさっと娘に席を譲った。

 決して満席ではなく、後ろに行けば席は空いてるが、昇降口から近い
席がいいはずだ。

しかも2人は並んで座った方がええはずだ。

しゃーないから同じく席を譲った。

これで並んで母娘が座れる。

 タトゥーのおっさんがこっちを見て、ニコリと笑った。

フェリーに乗り、対岸のバタワースへ。

駅前の屋台でカレーを食べた。

めっちゃうまい。

 14:20発 バンコク行きの国際列車に乗る。

隣は日本人の女の子、大学生2人組。

マレーシアの通貨リンギットはさっきのカレー屋さんで使い切ってしまったので、何も食べられないでいたところ、スナック菓子を恵んでもらった。

ありがたい、ありがたい。

列車に揺られながら、旅の話を延々とする。

荷物の中から太鼓、口琴シンギングボールを取り出して、即興の演奏会になる。

バックパックの旅での出会い。

 国境も難なく通過する。

タイ入国。


まず、自分のバケツを一杯にすること。そしたら、あふれだす。


23 日

 明るくなるまで、彼女の部屋で話をしていた。

何を話したのか、全く記憶がない。

 アツコさんが育てている鉢植が赤い花をつけている。

 外には雷の光。雨粒の流れ。蚊取り線香の臭い。スルメの食べ残し。

マヨネーズの容器。干からびた唐辛子。

 コーランが聴こえてきた。朝だ。

 彼女が貝殻で作った風鈴が素朴な音を奏でる。

 11 時に目覚める。

 散歩しようと庭に出ると日本人の年配の夫婦がいる。

「こんにちわ。こんなところに日本人宿があるんですか?弁慶って看板をみて来ました。」

 早期退職して、ペナン島に移住した山本さん夫妻。

NGOの理事長でネパールの植林にも関わっているとのこと。

 明日の昼食をご一緒する約束をした。

 浜辺を散歩して、また寝る。

暑くて30 分で目覚める。

隣の家では葬式をしている。SGKの看板。日本の新宗教はこんなところでも頑張ってる・・・。

アツコさんに教えてもらったプリックリーヒートを買ってきて、体中に塗る。

汗を吸って涼しくなったような気分になる。


 夕方からまた浜辺を歩く。

高級リゾートホテルまで歩く。

トイレを使わせてもらう。これだけでかなり得した気分。

 イカ焼きを買ってきて、部屋で食う。

 また彼女と話す、延々と。

そしたら他人をなんとかしようとしてる自分が見えた。

余計な世話だよね。

そんなん無理や。SGKで葬式でもしてもらわなきゃ、こんな自分とはサイナラできんな、こりゃ。

南無・・・。


 まず、自分のバケツを一杯にすること。そしたら、あふれてきます。

1999年、インドの片田舎にいるときに自分で自分に言い聞かせた言葉。


これは未だないのか、これからもないのか? クアラルンプール 〜 ペナン島



21 日

 午前4 時、死ぬほど暑くて目が醒める。

マレーシア、KLにて。

 狭いこの部屋に2段ベッドが3つ。

計6人が寝ている。こんな扇風機の風じゃチカラ不足。

熱気を送る熱風機じゃ。

 
日本の老人ホームで働いていた頃の担当のおじいちゃんとメールして
いる。

 (おじいちゃんと云ってはいけない。入所者様、利用者様が正しい)

 さすがにキーボードは打てないので、書いてもらった手紙を生活相談
員さんに代打してもらっている。

 こちらからは各地の絵葉書を送り、それの返答がメールで届く。若い
頃、ギターにカメラに車・・・道楽の限りを尽くしたという彼からの
メッセージは、うれしく、たのしく、そして哀しい。

 ベトナムラオスカンボジアにはいわゆる老人ホームはないように
見える。

 これは未だないのか、これからもないのか?

 インドネシアで出会った男は、「家族は家でケアするものだ」と言っていた。

 日本の福祉の世界でいう「ケア」と彼との会話の中でいう「ケア」と
いう言葉に微妙な違いを感じた。

 経済が発展してゆく中でどんどん忙しくなってゆく人々。

その中で忘れられ、いや忘れたようにして置き去りにされる人やコト。

生産性と効率のモノサシだけで全て測っちゃっててええのか?

 午前9時、バックパッカーズインをチェックアウト。

30分後にバタワース行きのバスに乗る。

途中、バスが止まり休憩になっても、物売りに囲まれることがない。

静かなものだ。

ここがベトナムだったら、すぐに周囲を囲まれる。中にもスリもいた
り。

 マレーシアはさすがアジアの優等生。

だけど、一抹の淋しさを感じた。

あのガツガツした目のベトナムが懐かしくさえ思った。

 バタワースのバスターミナルに隣接する鉄道駅で25日の日付のタイ
行きのチケットを買う。

 フェリーに乗り、ペナン島へ渡る。12年ぶりのペナン島

 ビーチに程近い「弁慶」という宿に泊まったことを憶えている。

まだあるだろうか?

記憶の中にあるバツフェリンギという名前のビーチを頼りにバスに乗る。




 22 日

 12 年前と同じように、「弁慶民宿」はマレーシア ペナン島のバツフェリンギビーチにあった。何も変っていない。

 誰が書いたのか分からない歪な漢字の看板もそのまんまだ。

 12 年前と違うのは、日本人の旅人がたくさんいること。

あの当時は日本人は一人だった。

 「これからは日本人の旅人が増える」そんな予感からこの名前を付けたと言っていたが、勘は見事に当たったようだ。

 学生3人組、関西2人組、大学院生、マスター、アツコさん、いろん
な旅人が泊まっている。

 昨夜は出会いに乾杯っーことで、ガーニードライブまでバスで出て、
屋台でメシを食う。

 宿に帰って、部屋で朝4時まで喋る。

 目が醒めると昼だった。

みんなもう起きていた。

長崎から来た2人が宿を出てゆく。

昼飯を5人で食べる。

 食べている途中、外は大雨になる。濡れながら宿に戻り、3人でビー
ルを飲む。

大学院生はチェックアウトに向けて、荷造りをしている。

すげーでかい荷物だ。

 カンボジアとマレーシアの太鼓が一つずつ、チベットのシンギングボ
ウル、ベトナム口琴

 このオモチャがたくさんの友達を作ってくれる。

大石静のエッセイと加藤諦三の説教くさい本を交換する。

 17時、その諦三の持ち主がチェックアウト、バス停まで見送る。

みんな行っちゃった。


 夕方、アツコさんと夕日を観にビーチへ行く。

雲が厚く、ここでも海へ沈む太陽を見ることはできない。

砂浜ではたくさんの子供が服を着たまま波打ち際で遊んでる。

 アラブのセレブのみなさんも黒装束のまま、バナナボートに乗ったり
なんかしてる。

 高級ホテル シャングリラのプールサイドからバーを抜けて、ラウン
ジへ。

 宿泊客の振りをして、ソファに座る。

テーブルに飾られた赤い花が眩しい。

隣のレストランから生演奏のBGM。

 弁慶民宿もいいが、こんなんもいい。

周囲の宿泊客のみなさんと明らかに違うのは、我々の服装だが、気にしないなら、気にならん。

気にすると気になる。

アツコさんと話す。彼女は3ヶ月ここにいる。

貝殻で風鈴を作ったり、花を育てたりしてる。

 宿に帰り、部屋の入り口にテーブルと椅子を引っ張ってきて、コンビ
ニで買ったビールと柿の種で乾杯。2人で宴会。

かなりの幸せ感。

環境問題とは文字通り、身の周りのこと。

 



19 日

 よく眠った。

久々に日本人と話して、心がほっとしてる。

宿の本棚にあった景山民夫を読む。

後年、幸福の科学に傾倒して、自らの命を絶つ筆者の軽妙なエッセイ
から、いろんなことを思う。

 この人はホントにこんな軽いタッチの考えをしてたのかな?

本当に明るい洒脱な人は自殺しないだろうに。

明るい人の方にハマって降りてこれない苦しさか。

 チベット死者の書ルドルフ・シュタイナー・・・いろんなことが書
かれてる。やっぱ、好きなのね、精神世界。

 環境問題とは文字通り、身の周りのこと。

霊道が開いたと自身が述べる筆者が見たのは何だったんだろう?

彼が見つけたのは、何だったのか?

彼が垣間見たのは、己の世界。

 右を向けば右が見え、左を向けば左が見える。目をぐるぐると回せば
世界は周る。

 本当に動物が好きな人は、動物園に行くのかなぁ?

 イギリス人は、車を運転していて信号が黄色でも止まるそうだ(ホン
トか?)

 個人主義が徹底しているからだそうだ。

 本当の個人主義は他人に対しても、徹底的に気を配る。

自分勝手とは違う。

自分を本当の意味において満足させることとは、他人をも満足さ
せることだ。

 究極のエゴイストは、自分勝手とは違う。

他人にも優しいのだ。

 昼食の後、土産物屋で太鼓を叩いて周る。

エイイチローくんと2人でいろんなドラムを叩く。

 宿に帰り、昼寝。

また景山氏のエッセイを読む。

 17 時にノソノソと起き、外に出る。

昼間の土産物屋で太鼓を買う。

 海の見える橋まで歩き、太鼓を叩きながら、夕陽を見る。

 世界一とは言えないが、確かにマラッカ海峡に沈む夕陽を見た。

 ・・・と自分を納得させて、帰ろうとして振り返ると、上空に上弦の
月が浮かんでいた。

 背中に上弦の月、屋台でメシを食う。

月が背中に付いてくる。

20日

 マラッカ カンチルゲストハウスで目覚める。

 外は少し雨が降っている。

歯を磨いて、荷造りをする。

バックパックに括りつけた太鼓が2つになっている。

なんでだ?そう、買ったからだ。

デカイ・・・。

 雨に濡れないようにビニールで覆う。

宿の前に止まる17 番のバスに乗り、ターミナルまで。

外は激しい雨。

エイイチロージョホールへ向かうという。

握手をして、クアラルンプールへ向かう。

 12 時、KL、バックパッカーズインのドミトリーに入る。

10リンギット(約300円)

 大都会のKLには用事はないので、明日の朝のバタワース行きのバス
の予約をして街を歩く。

 旧鉄道駅、独立広場・・・。

 「全て人の為なら全て助ける。全て任せよ。全て信じよ。」

 ネットカフェで、ミャンマーの僧侶ガユーナ・セアロのHPを開いて
読んだ言葉。

 ミャンマーかぁ・・・セアロかぁ・・・。

日本の企業が建てたKLツインタワー、ショッピングセンターを歩く。

KLCCの街並みはもう日本。

それも大都会トウキョー。

有名ブランド、高級品の山、山。

 いやーすごい!居心地が悪くてしゃーない。

 周囲を気にして、挙動不審になっている自分を発見した。

紀伊国屋書店バングラディシュ、インド、ミャンマーの本を読んで、
情報収集。

 ミャンマー、すごくいい国らしい。

 よし!行くぞ。

宿のベッドは2段の上段で、柵がない。

バックパックを枕にして、寝っころがる。

 目のすぐ上でファンが回ってる。

 寝てるときにこれが落ちてきたら、すげーことになるな。

 柵がないから下に落ちたらイテーな。

2本目のカールスバーグを飲み終わる頃にはそんな心配も消えて眠り
に落ちた。

 迷い込んだこの世界、思う存分彷徨うぜ。

さーて、マレー半島縦断だ。