『 祝日行千里跨九州 』
6 月8 日
昆明、茶花賓館、ドミトリー。
8時に目覚める。
ホテルを出て散歩する。
歩いて中国銀行を探す。
財布の奥の方に香港ドルが残ってた。
もったいない。
なんとか人民元にしなきゃ。
さんざん並んで銀行の窓口に辿りつき、精一杯の笑顔で両替を頼むが、予想通りに無理だと言われた。
銀行の入り口に座り込んでるたくさんのおばちゃんがいる。
闇チェンジだろなぁ・・・。
「香港ドルだけど、いい?」
「11元だ」
恐ろしくレートは悪いが背に腹は変えられない。
隣に座り込んで、じっくりお話させて頂いて、12元にしてもらった。
正面に座らず、真横に座ってじっくり話す。満面の笑み。これで1元。
スマイル 1元 !!
ATMで人民元の現金を引き出す。
すぐそばの路上に、両手首から先のない若者が座っている。
見ると体のあちこちにも傷跡がある。
おそらく事故かなにかで両手を失ったのだろう。
その手首と手首の間に筆を挟み、半紙に字を書いている。
一心に字を書き続けている。
誰も気に留める様子はなく、足早に通りすぎる人々。
道路に面して、空き缶が置かれている。
僕はさっきの1元を入れさせてもらった。
「謝謝」 彼が言う。
僕は結局この日、一日をここに座って過ごした。
長髪の日本人と、路上で書をしたためる両腕のない青年が並んで座っている昆明の道端。
次第に人が集まり、箱の中にもお金が集まり始めた。
自分の好きな漢詩を書いてくれと頼む初老の女性も現れた。
警官も側で笑ってみている。
「んじゃ、そろそろ行くよ」 帰ろうとすると
「ちょっと待って」と彼。
『 祝日行千里跨九州 』
半紙に書いた字をくれた。
「謝謝」
この街の人がみな笑顔に見えてきた。
ありがとう。
マハリシって人の言葉を見つけた。
「自己を知らない人がどこにいよう。
それなのに人々は、この真理を耳にすることさえ好まない。
彼らは、彼方にあるものや天国、地獄や再生については
熱心に知りたがる。
彼らは不思議を愛しており、真理を愛してはいないので、宗教は、結
局彼らを自己の周辺に連れてゆく程度のものしか提供することができな
い。
どのような方法を採るにせよ、
あなたは結局は自己に帰ってゆかねばならない。
そうであるなら、
なぜここで今、自己の内に住まないのか?」
6月9日
昨夜、宿で話をした日本人は同じ高校の出身だった。
近所の飲み屋でずっと話をする。
彼は日本で働いているとアトピーが出る。
症状がひどくて働いていられないくらいになる。
海外に出ると治る。
でも、年齢も年齢だし、きちんと働かなければならないという。
(そぉかぁ?俺の方が年は上やけどなぁ…)
目的や使命感、ゴール設定をしてそれに向かって進むべきだと両親も
いうらしい。
彼もそう思うのだが、体は逆の反応をする。
日本でも、旅先でそうであるように 気ままな状態でいられればいい
のにね、お互い。
宿をチェックアウト。
15:50トイレ休憩。
こんなに我慢をしたのは、ラサ〜西寧の間以来だ。
本を読みながら、何度も気をそらし続けたが周期的に襲ってくるもの
があり、限界だった。
たまりすぎると勢いがなくなる。膨らませすぎたんだ。
信じられないくらい長く続く放出は、その間、考え事ができるほどで
体からチカラが抜けていくようだ。
バスターミナルにいた客引きのおばさんについていって、古城香格居
客桟にきた。
穏やかな顔つきの納西族夫婦が経営していて、3歳の息子とおばあ
ちゃんがいる。
ドミトリー同室の人は、大阪から来た人。2年かけて世界一周を人。
昆明でもらった本「池袋西口ゲートパーク」 IWGPはすぐに読み終えちゃった。
アガるいい話だったわぁ。
6月10日
同室の日本人と街を歩き回り、水餃とショーロンポウを食べる。
宿のおばあちゃんは笑顔が素敵。
麗江の町並み、川が流れ、鯉が泳ぎ、どこか萩や津和野に似ているよ
うに感じた。
香港でTOMさんからテレホンカードをもらった。
麗江から香港経由で日本に電話する。
嫁さんが出る。声だけでは誰だかすぐには分からなかったみたい。
「夏休みには、東南アジアのどこかで会おうね」と話す。
宿のこどもがすごくなついてくる。こども相手だと楽だ。
言葉なしでいい。
うれしいなぁ。
近くの酒屋で梅酒を買ってきて、ベッドにあぐらをかいて飲む。