青島から北京へ 2004年当時、北京にいた友達? 誰だったけなぁ?

2004年4月16日 中国3日目


 青島の街も十分観たし、次に行こう。
今日はチケットを取って1日休養しよう。

 昨日、ネットカフェがあったところはどこだったっけ?

 漢字って実に便利だ。

 我要再住一天 没有熱水


「もう一泊したいんですけど。シャワーから熱いお湯が出ません。」


 
 真対不起 と謝られた。 


 なんだ、中国。いい感じじゃん♪


 青島駅で北京行の鉄道のチケットを取った。たくさん人が並んでいて、
「没有」といわれることを覚悟していたが、あっさりと取れて、拍子抜
け。


 銀行へ行き、VISAカードでキャッシングを試みるができない。

CITIカードでやっと現金を得る。

 ホッとした。いい一日じゃん。

 青島の街を歩く。
肢体が不自由な少年が道を這い、物乞いをしている。
 小銭を受け取ってもらう。

 「謝々」と言ってくれる。
 足の不自由な老人がバスから降りようとしている。
車椅子の準備を手伝う。
 「謝々」と言ってくれる。

 宿に戻ると、部屋がきれいになっていた。

 良いこと、悪いこと、幸運、不運、きれい、不潔、目に映るもの、耳
に聴こえるもの、肌に触れるもの、絶えず動き回る心・・・。

 旅に出ると自分と向き合う余裕がある。
 自分を観ている自分がいる。




2004年4月17日

 今朝は部屋の窓に結露している。青島を出る日だ。


 チェックアウト間近まで宿で休もう。

「硬座」チケットの座席は文字通り硬く、10時間の移動はかなりきつ
いらしいがなんとかなるだろう。

 ホテルをチェックアウトして、周囲を歩き回る。

 市場でいろんなもんを買って食う。

 大衆食堂でお粥とちまきを食べる。1元也。

 外は雨。19時までに駅に行けばいい。

 2枚持ってきたタオルのうち、1枚を宿に忘れてきた。一つ一つ要ら
ないモノを捨てていく。

 言葉が通じない。

レストランで注文しようにもうまくいかない。

 餃子を注文したが、受けてもらえなかった。

 途方に暮れていると、英語の分かる男性客が助けて教えてくれた。

彼は家族連れで、英語で外国人と話していることが得意気でうれしそう
だった。

 助けられること 助けること。

 雨の中、歩いて駅まで行く。

 食堂でビールを飲む。

 寒いのでザックからフリースを出して着込む。

 列車に乗り込む。




 たくさんの人がいる。

ここで11時間を過ごす。
中国の列車の座席。

インドよりかなりマシ。そんなに硬くもない。

 青島、バイバイ。


北京在住の友人から 今日(2005/04/18) 届いたメール。

中国の反日の今。 
 北京。

 上海はえらいヒートアップしてるみたいっすけど、


 北京は全然落ち着いてます。

 どうやら政府が強権を使ってデモを封じ込めたみたいです。

 さすが腐っても共産主義。ある意味共産党万歳です!
 
 オフィスの向かいにある売店のオッチャンは、

 相変わらず「トモダチだから」とニコニコ顔で値引きしてくれますし、
 その隣りの食堂のおねーさんは相変わらずことあるごとにちょっかい
出してきますし、

 記者の友人に「あんまり日本人の友達がいるって公開しないほうがえ
えよー」といったら

 「隠す必要なんかないし政治と人間関係は別問題。そんな簡単なことが区別できないやつの気が知れない」

 なんらいつもと変わりません。

 見たところデモ参加者のほとんどは大学生。そして日本人に接したこ
とのない層かと思われます。

 ファッションかお祭り感覚で参加している層も多そうです。

 北京ではデモに対してかなり冷めた空気が流れているようです。
 以下が街の声。

 「あんなことやってなんになるんだ?交通規制のせいでいい迷惑だ( バスの運ちゃん)」、


 「あんなのは所詮政府の許可付きのデモだ。無意味極まりない(20 代後半青年)」



 「そんなにデモやりたければ東京でも行けば? ( 売店のオバチャン)」
 
「デモ隊を見て興味を示してもすぐに関心を無くす人がほとんど。よく
できたプロパガンダですね( 大使館関係者)」

 これが先週、第一回目のデモでした。

 一方の経済都市上海。

 こちらのほうが事態は深刻ですね。

 上海在住、アンチ中国で日本マニアのフランス人の友人が見物に行っ
たらしいんですが、


 警官隊がデモ隊に手を出せんかったらしいじゃないですか?

 これってこれまでの中国ではありえなかったことですよ。

 一昔前だったら。この規模のデモだと、即軍隊投入→鎮圧ですものね。
 

すでに上海は上海のものであって、北京政府のものではない。


 上海人からそういったアイデンティティを感じたような気がします。


 今後中国で革命が起こるとすれば上海からということを裏付けたデ
モなのではないでしょうか?


 こちらでの業務への影響はといいますと、


 表紙を飾る予定だったアサヒビールの広告が無期限延期。

 上海の本社が企画してたジャパンフェアという大使館がらみのイベン
トも無期限延期。


 今月は広告掲載を自粛するというクライアントも続出してたりと、
 大きな波乱がありました。


 こんなところですかね。


 長くなりましたが、北京は安全ということです。



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2004年当時、北京にいた友達?

誰だったけなぁ?

かなり冷静な分析、大学の後輩のK氏かな?

もうかなり忘れてる。

この10年で中国も日本もかなり変化した。

中国人の服装からもそれは窺い知ることができる。